※『本作品では作者の勝手な催眠理論が展開されちゃってます。一応本に書か

れていたものを引っ張ってきたつもりですが・・・恐らく私の思い込みとか反

映されちゃってます。それをご了解の上、本作品をお楽しみいただけるようお

願い致します。』

 

 

夜、深夜1時をまわったところ。私はベッドの上に座っていた。

目はいつもと違ってありえないくらいに冴えている。眠りそうな気配は全くし

ない。

私は一冊の本を読んでた。七さんにもらった、大切な本。

私は本の中の、特に暗示の部分を繰り返し読んでいた。

(・・・これから行うことに、間違いがあっちゃいけない。)

さすがに本は向こうには持っていけない。邪魔になるからだ。だからこうして、

自分の記憶のなかに方法を一からたたき込んでいた。

「そろそろ、かな・・・」

私はベッドから立ち上がる。そのまま、窓の方へ・・・

カーテンを開ける。向こうの電気は消えていた。

窓を開ける。静かな空気が、あたり一面にたちこめる。周りには音がない、ま

るで私だけの世界。

ここから向こうの窓までは一メートルもない。かなり近く、隣接して建てられ

たので、向こう側に飛び移るのは案外簡単なのだ。

(まぁ、だから小さいときに浩くんがこっちに来れたんだけどね。)

昔の思いに浸りながら、私は向こう側の窓に手をかける。

浩くんの方の窓に、カギはかかっていなかった。

知っていた。浩くんが私にこの前塾で言っていたからだ、「随分前にカギが壊

れたんだ」って。

だから、さして驚くことでもなかった。まぁ、単なる話のタネとしか思ってな

かったから、実際に役立つとは考えなかったし、その点については驚いてたけ

ど・・・

ゆっくりと右足を向こうへと伸ばす。そしてそこから少しづつ体重を移動させ、

なんとか音をたてずに部屋に侵入することに成功した。

「・・・いた。」

パジャマ姿の浩くん。ベッドの上で、枕を抱きかかえて寝ていた。

「か、かわいい・・・」

なんとなくその格好がほほえましく見える。上布団は、何かのはずみか何かで

お腹から下しかかぶさってなかった。

「おっと、見入ってる場合じゃないや・・・」

私は本に書かれてあった通り、浩くんの状態を確認する。

手を浩くんの前に振りかざし、振ってみる。・・・気づかない。

手を浩くんの鼻と口のあたりにもっていく。・・・規則正しいリズムで呼吸し

ている。

嘘とかでなく、本当に寝ている証拠だった。

次に私は浩くんの耳元に顔を近づけ、小さな声で

「・・・こ〜う〜君?・・・」

反応はない。どうやら浅い睡眠ではなく、完全に深い睡眠におちているようだ。

 

(本には、『レム睡眠』とか『ノンレム睡眠』とか書いてあったけど・・・ま、

大丈夫だよね。)

「『私の声が聞こえますか?私が誰なのか、思い出せますか?』」

「『私は沙弥加、沙弥加だよ。思い出した?・・・だんだんと、私の顔が頭の

中に浮かんでくる。ぼんやりしてるけど、私の声を聞いてると・・・次第には

っきり、見えてくるよ?』」

「『ほら、もっと私の声を集中して聞いてみて。ほかの音が、全然気にならな

くなるくらい、私の声を聞いて?』」

「『私が浩くんの頭の中にいる。どんな格好をしてる?制服姿かな、それとも

普段着なのかな。私はどんな表情をしてる?笑ってるかな、それとも怒ってる

のかな。・・・目の前にいる私に、もっとよく意識を集中してみて。』」

少し呼吸が浅くなった。息の回数も気持ち程度だけど多くなってる。

(浅い睡眠・・・なのかな。本には確か・・・)

この時が一番ベストな時だって・・・でも、起きてしまうかもしれないから注意

が必要と書かれていた。

「『私の声が聞こえる?ゆっくりと、大きく深呼吸をしようか。浩くんは、私

の言うとおりにするんだよ?ゆっくり、息を吸って・・・』」

すると驚いたことに、浩くんがさっきまでの呼吸のリズムから、私の言うとお

りに息を吸い始めたのだ。・・・だけど、驚いてばかりはいられない。

浩くんが苦しくならないよう、慎重に気を配りながらいいタイミングのところ

「『はい、吐き出して〜・・・はい、また吸って〜・・・ゆっくりと、吐き出

して〜・・・』」

浩くんは私の言い付けを守り、深呼吸を繰り返していった。何回か繰り返す内

に、さっきまでは少しあった筋肉の緊張がゆっくりとだが、とけていった。

だけどまだ安心できない。そうやって私はリラックスした環境を、彼自身と一

緒に作っていった。

 

(もう、いいかな?)

浩くんの体は、ゆったりとしていて完全に全身の力が抜け落ちていた。しがみ

つくように抱えていた枕も、だらんとした腕に添えられてるといった感じで簡

単に取り外せそうだった。

私は次の段階に取り掛かることにした。

「『深呼吸、もうやめてもいいよ?・・・はい、よくできました。』」

「『浩くんは、今ふんわりとした感覚の中にいます。体が軽いみたいで、とっ

ても気持ちいい。見渡す限り真っ白な世界、だけど何故か暖かい感じがして・・・

浩くんは、そこが大好きになります。』」

「『ふわふわした感覚が全身に感じられる。体はずっと軽いまま。自分が今立

っているのか、それとも寝転がっているのかさえわからないくらいに、ふわふ

わになってる。自分の体から切り離されて、精神だけが宙を浮いているような

感じ。』」

「『何にもない、真っ白な世界。・・・な〜んにもありません。』」

「『一人だけ・・・この世界にいるのは自分だけ。辺りには何にもない。誰も

いない。どこを向いても白。』」

「『そういえば、ここは何処なんでしょう?見渡す限り真っ白なので、目印な

んかありません。誰もいないから、誰かに聞くこともできません。』」

「『一人きりの世界。楽しいけど、少し寂しい。・・・そう、思わない?』」

浩くんに問いかける、だけど別に返事を期待してるわけじゃない。構わず私は

続ける。

「『そう、寂しいよね。やっぱり、一人は寂しいよね。・・・浩くんは、今、

寂しいんだよ?』」

「『誰もいないから寂しい。何もないから寂しい。・・・一人は寂しい。寂し

いのは、嫌だよね。』」

私はさらに浩くんの耳に顔を近付け、甘い声で囁く。

「『でも、思い出して。私はここにいるよ。私は誰なんだっけ?』」

「『私の声、思い出して。私の声をもっと聞いて。』」

「『思い出した?私だよ私、沙弥加だよ。ほら、今だって浩くんの隣にいるで

しょう?私はいつでも、浩くんのそばにいるよ。』」

「『私の顔、よく見てごらん。笑ってるでしょ?私がそばにいるんだから、浩

くん今、寂しくないでしょ。・・・だんだんと、あったかくなっていくよ。心

から、だんだんと足の指先まで・・・ゆっくりと、暖かくなる。』」

「『私がお腹に手をかざしてみると・・・ほら、お腹がだんだんとポカポカし

てきた。暖かくって、気持ちいいよね。まだあったかくなっていくよ?』」

「『私の手が暖かい。その暖かさが、手を伝わって、浩くんのお腹をあったか

くしていく。私と浩くんが、今繋がってるんだよ。』」

「『これでもう寂しくないよね。覚えておいてね、いつも私がそばにいるんだ

ってこと。浩くんには、私が必要なんだってこと。記憶の深いところに、忘れ

ないようにしておくんだよ?浩くんは、私が必要だってこと。』」

そろそろ帰らないといけない時間だ。私は最後の仕上げをする。

「『私が必要な浩くんは、私の言うことに逆らっちゃ駄目。私の言うことをき

ちんと聞いていれば、私はずっと浩くんのそばにいてあげる。だから浩くんは、

私の言うことは・・・疑う事なく、聞き入れないといけないんだよ。』」

「『覚えておいて。私が「命令」って言ったら、浩くんは瞬時に私がいったこ

とをしなくちゃいけない。寂しいのは嫌なんだよね。だから、私を拒んじゃだ

め。私の言うことを聞いていれば浩くんは幸せになれるんだよ。浩くんも、そ

のへんはちゃんとわかってるよね。』」

「『いい?キーワードを忘れちゃだめだよ。・・・「命令」、だよ?そう、メ・

イ・レ・イ。』」

「『忘れちゃいけないから、さっそく試してみようね。浩くん、命令です。今

から私が数を三つ数えた後に私が「眠りましょう」っていったら、浩くんは寝

なくてはいけません。だんだんと頭がボヤーっとしてきて、次第に眠くて眠く

てしょうがなくなります。いい、これは「命令」、だからね?』」

「『ゆっくりと、数を数えます。三つ数えたら眠るんだよ?』」

「『一つ・・・体が重くなっていく。手が重い、足が重い、体が重い・・・ど

んどん、ベッドに沈んでいくような感じがする・・・』」

「『二つ・・・重い、体が重い・・・そして重くなってくるにつれて、だんだ

ん頭がボヤーっとしてくる。何も考えられない。何も考えられない代わりに、

私の声が聞こえる。私の声を聞いてると、どんどん深く・・・眠くなってく感

じがする・・・』」

「『三つ・・・眠い・・・眠く感じる。瞼があがらない。すごく眠たい。だけ

ど、まだだよ。私の声と一緒に眠るの。眠い・・・だけど、まだ我慢。頭には

私の声だけがある。とっても気持ちよくって、ふわふわしてる。ふわふわ・・・

ふわふわ・・・体は重たいのに、宙をまってるみたい。このまま眠りたい・・・』」

 

「『よく我慢できました、じゃあ・・・浩くん、命令です。眠りなさい・・・』」

 

・・・・・・・・・

・・・・・・

・・・

(ホントに眠った・・・)

いや、元から眠ってはいるんだけど・・・それでも私がわかるくらいに完全に、

深く眠ってしまった。ちょっとやそっとのことでは起きそうにない。

(だ、大丈夫かな・・・)

さすがに心配にかられる。ここまでうまくいっといて言うのもなんだけど・・・

だけど何というか、浩くんの体が心配だった。

かといってそれ以上どうすることもできず、私はばれない内に部屋へと帰るよ

うにしたのだった。

 

次の日。七さんから本をもらって二日目になる。

今日は土曜日だ。

お昼ご飯を食べ、町へとくりだした。

駅の改札口を通り、交差点の下を通り、たどり着いたところは・・・

「やあ、いらっしゃい。・・・待ってたよ。」

ルノワールという喫茶店だった。

 

「おや、今日は普段着なんだね。似合ってるよ。」

「あ、はい。ありがとうございます。・・・そういう七さんは、仕事服・・・

じゃないんですね。」

私は白いTシャツに黒っぽいボトム、その上にラップスカートという組み合わ

せ。

一方の七さんは黒い半袖のカッターシャツに黒い綿パン、そしてアクセントに

赤いネクタイを締めていた。男の人っぽい、格好いい姿だけど・・・男性には

ない胸が強調されてるような感じだった。

(あれ、この前会ったときはこんなに胸大きくなかったような・・・)

というかむしろ無かった。だから私は男かどうかわからなかったんだけど・・・

 

七さんにたずねてみると、

「ああ、いつもはサラシを巻いてるんだよ。今日は特別。」

という、成る程もっともな答えがかえってきた。

「特別、ですか・・・何か今日あるんですか?」

「まあ、そんなとこ。それでどうだった、うまくできたのかな?」

それが一番気になるらしく、七さんはコーヒーをいれながら聞いてきた。

「それが、一応はうまくできた・・・みたいなんですけど・・・」

私は昨日(といっても今日のことだが)の出来事をこと細やかに話した。

「ふ〜ん、そうなんだ・・・」

七さんは口を挟まず、最後まで私の話を熱心に聞いてくれた。そうしながらも

仕事をこなすあたり、さすがは店主といったところか。

「あの、まだ浩くんには会ってないんですけど・・・だ、大丈夫なんでしょう

か?」

今日は土曜日で、塾でいつも通り数学の授業がある。私は浩くんといつも通り

接していいのかどうかわからなかった。

(もし、浩くんが昨日の出来事を覚えていたら・・・)

そう思うと、不安でたまらなかった。

「あの本通りにやったんだろ?なら大丈夫。覚えてはないだろうけどさ、きち

んと記憶の中には刻み込まれてるはずだよ。」

はいコーヒー、と七さんがカップに注がれたコーヒーを差し出す。

「あ、ありがとうございます・・・」

「でもね」

七さんが神妙な面持ちでこちらに振り返った。

「まだ何もしちゃ駄目だからな。命令もしちゃ駄目。まだ完成されてないのに

そんなことしても意味ないからね。というか、中途半端な分怪しまれるからさ。」

 

「はぁ・・・」

「何事も慎重さが大切。このコーヒーだってそうなんだよ?」

そういって、得意げにコーヒーについて説明してくる七さん。

「あはは、何か面白い。」

私は面白くて笑い出してしまった。

「・・・あ、あれ?なにかおかしなこといったのかな、僕。」

「いや、そういうわけじゃないんですけど・・・でもなんか七さん、本当に喫

茶店の店主みたいで・・・」

「本当も何も、僕は歴とした店主なんだけど?」

「でも他の仕事してるようには見えませんって。だから・・・本当に、喫茶店

が大好きなんだなって思ったんです。」

「・・・そうかもな。」

七さんも堪えきれず、笑い出してしまった。

 

「その時なんですけどね、私の側にずっといてくれたんですよ。」

「へぇ、そんなことがね〜・・・」

それから私たちは取り留めの無い会話をずっとしていた。といっても、話して

るのはほとんど私。七さんは話に聞き入ってあまり積極的に話そうとはしなか

った。

その内、だんだんと気分がよくなってきて・・・

「あ、あれ・・・」

「どうしたのかい?」

「なんだか、少し眠たく・・・昨日ちゃんと寝なかったからかな・・・」

「少し休んだらどうだい?時間になったら起こしてあげるよ。」

「あ、でも・・・」

断ろう・・・と思ったけど、だんだん押し寄せてくる睡眠欲に負けそうになる。

幸いにもまだ塾が始まるまで時間がある。

(七さんも、こういってるんだし・・・)

「・・・じゃあ、おねがいしま・・・す・・・」

急激な睡魔。最後まで言う事なく、私はテーブルに突っ伏した・・・

 

「・・・・・・」

「・・・すぅ・・・すぅ・・・」

「・・・ふふっ、完全に眠ってる。完全に僕を信じちゃって・・・本当、無垢

といえば無垢だよな。」

「僕、ちゃんと言ったでしょ?今日は特別な日なんだって。・・・あれ、君の

ことだったんだけどなぁ。」

「さて、と・・・じゃあ効いてる内にさっさと始めますか。」

僕は左手に挟むようにして隠してた、開けて中を取り出した空のカプセルをゴ

ミ箱に捨てる。そして、カウンターの脇に置いてあった睡眠薬のカプセルが大

量に入ってるビンを片付け、入り口のドアの看板を『OPEN』から『CLO

SE』へと変えた。

そして僕は沙弥加くんを・・・

・・・・・・・・・

・・・・・・

・・・

「・・・よし、終わった。」

やることは終わったので、僕は沙弥加くんを起こすことにした。

両手を彼女の顔の前にもっていき・・・

パンッ!

 

「・・・ん・・・んぅ・・・」

どれくらい寝てたのだろう、私はゆっくりと目を覚ました。

「おはよう、気分はどうだい?」

目覚めは・・・まあまあ、といったところ。まだ眠たい感じはあったけど、よ

く眠れた方だと思う。

「・・・七、さん・・・時間・・・」

「時間かい?あぁ、今5時になるとこだよ。そろそろ塾に行かないといけない

時間なんじゃないかな?」

5時・・・確かに、そろそろかも・・・

「あ、それじゃあ私はこれで・・・あっ、これ代金です。」

私は飲んだコーヒーの代金を七さんに手渡す。

「コーヒー、おいしかったです。」

「そりゃよかった。また、いつでもおいで。」

私は入り口のドアを大きくあけた。空が、まだ明るかった。

 

塾の席を二人分確保して、待つこと三十分。そろそろ授業が始まるといったとこ

で、浩くんが滑り込むように教室にかけこんだ。

浩くんにしては珍しいことだった。今日は土曜だから、学校とかないのに・・・

 

私は浩くんに手招きして場所を知らせる。しばらくして、息を切らせた浩くん

が隣にやってきた。

「はぁ・・・はぁ・・・やばかった〜、時間ギリギリだ・・・」

「どうしたの?」

私は平静を装って、さりげなく・・・あまり興味がないよう聞いてみた。

「あぁ、それが・・・」

浩くんは私の顔をチラッと見ると、口をもどかしそうに・・・何か言いたがっ

てるようだけど、諦めたのだろうか、

「・・・いや、なんでもない。」

とそっけなく返事をした。

そして、時間はいつもどおり流れていって・・・

だけど、私は・・・

「・・・浩くん、どうしたの?」

「・・・・・・」

チラチラこっちを見つめてくる浩くんが気になって、寝ようにも寝られなかっ

た。

浩くんの顔は、真っ赤に紅潮していた。

 

帰り道、二人の間はなんとなく距離があった。

「・・・・・・」

「・・・・・・」

お互い無言。何か話そうとして、顔を上にあげる・・・が、やっぱりやめて下

に俯く。

(もしかして・・・気づいたのかな・・・)

さっきからその不安で押し潰されそうだった。

「昨日、さ・・・」

「ひゃあっ!?」

いきなり話し始めた浩くん。思わず変な声をあげてしまった。

だけど浩くんは構わず話す。

「昨日さ、夢におまえが出てきた。」

「へっ、夢・・・?」

「それだけだ・・・じ、じゃあな」

そういって、浩くんは帰り道を私を置いて走り去ってしまった。

一人残された私。

「・・・気づいて、ない?」

夢・・・ってことは、バレてないということだろうか。半ばホッとしながらも、

私はどこか心の奥底で・・・何とも言えない感覚がふくれあがっていくのを感

じた。

(浩くん、を・・・私だけのものに・・・)

その欲望はやがて、私の理性のうえに覆いかぶさって・・・

そして、二日目の深夜がやってきた。

 

私は窓を開け、浩くんの部屋に飛び移る。そこに、ためらいはなかった。

部屋に着くなり浩くんの状態を確認し、すぐさま暗示へとうつる。

今度はもっと長く、そして深く刻み込むために・・・

私の心はもう浩くんでいっぱいで・・・ほかの考えなんか、入る余地がなかっ

た。私は疑う事なく、浩くんをいつの間にか自分のものにしたくなっていた。

 

私は彼が大好きになっていた。

だから、暗示をかける。優しく、心をこめて・・・浩司くんが私のことを好き

になってくれるように・・・

とまらない・・・この気持ちが止まらない。この時、抑えきれない衝動が徐々

に私の心を蝕んでいってることに、私は気づかなかった。

そして、1週間が過ぎた。

・・・・・・・・・

・・・・・・

・・・

彼は、もう私なしでは生きられないほどになっていた。

彼の視線の先には、常に私がいる。私が浩くんにとって必要な存在だというこ

とが、もう無意識に思われるようにまでなっていた。

私を見ることがまるで至福の瞬間のような感じで、ボーっとこっちを見つめる

浩くん。

そんな彼が、とてもいとおしかった。

「なあ・・・」

隣にいる未来が声をかける。

「浩司・・・なんだかおかしくないか?なんか目が虚ろだし・・・それにさっ

きからずっとお前を・・・」

「え・・・なあに?」

よく聞こえなかった。私の神経は浩くんに向いているから・・・だから、他の

ことはなんかもうどうでもいい・・・

そういえば何で私、未来と仲よかったんだっけ・・・

「・・・沙弥加、お前も何かおかしいぞ。」

「・・・もぉ、おかしくないってば。」

「いや、最近絶対におかしい。・・・なぁ、何かあったのか?お前、先週から

なんか変だぞ?」

「だから、変なんかじゃ・・・」

だんだん、目の前の存在がうっとおしくなってきた・・・

「最近頻繁に町に行き来してるみたいだし、それに最近付き合いも悪い。放課

後になったらすぐ町に向かうし・・・なぁ、町で何をしてるんだよ?まさかお

まえも事件に巻き込まれているんじゃ・・・」

「七さんは関係ないっ!!」

力いっぱいの怒声が、教室中に響き渡る。

周りのクラスメイトが驚いてこっちをみる。

「・・・さ、沙弥加?」

「あ、あれ・・・私、何を・・・?」

大きな声をあげたせいなのか、今まで虚ろだった意識がスゥっと晴れた。

私は今まで何を・・・っていうか、なんで未来に・・・

「・・・ど、どうしたんだよ沙弥加、急に・・・」

「ご、ごめん未来・・・わ、私・・・何がなんだか・・・」

動転する私。気が付くと、私は教室から走りだしてしまっていた。

 

たどり着いたのは屋上。

私は地面が比較的綺麗なところに腰をおろし、そのまま寝転んだ。

「はぁ・・・」

気が重くなる。なんで私、未来に酷いことを・・・

その時だった。屋上のドアが開き、一人の人間が入ってきた。

「・・・命令。ここに、座りなさい。」

私は自分の真横を手で叩いて場所を示す。

「・・・はい。」

やってきたのは浩くんだった。

浩くんは隣に座ると、何をするわけでもなくジーっとしていた。

・・・まるで次の命令を待ってるみたいに。

「・・・なんでこんなことになっちゃったんだろ。」

望みがかなって幸せなのに、何故か釈然としない。どこかがもどかしい。

「さて、と・・・もう学校も終わりか・・・七さんとこ、いかなきゃ。」

まるで日課のように、七さんの所に行くことは決まっていた。

七さんに言われたわけじゃないけど・・・なんとなく、いかなきゃいけないよ

うな感じがするからだ。気が付いたら足を向けてるっていうか・・・

私は起き上がり、屋上を後にした。ただ浩くんは暗示がまだ続いているらしく、

その場から動かなかった。

 

教室に帰ると、中はシーンと静まりかえった。私が入ることで、明らかに空気

が一変した。

・・・皆も、私がおかしいとどうやら思っているらしい。

未来は・・・どうやら帰ってしまったようだ。

私は荷物をまとめ、さっさと教室をあとにした。

(私・・・おかしくなんかないのに・・・)

 

七さんのとこに行くのは日課のはずなのに、そこで何をしたのかはいつも思い

出せない。気が付くと別の場所にいて、時間だけが私の感覚を無視して経過し

てる・・・そんな感じだった。

だけど七さんのとこに行くと体が宙に浮いてるみたいに気持ちよくって・・・

また行きたくなる。そうだ明日もいこう・・・そんな状態がここ何日か続いて

いた。

今日も行ったのは覚えているのに、気が付くと駅のホームの中だった。

 

今日もきょうとて、暗示をかける。

私ができるのは、軽目の催眠だけ。だから、数日たったら暗示はすぐに消えて

しまうそうだ。本に書いてあった。

だからかけつづけなくてはならない。かけつづけて、忘れないようにして、そ

のうち、頭の中に固定されるまで。それがいつかはわからない。本には書いて

なかった。

そのうち私も無意識になっていて・・・催眠をかけにいくことが、無意識下の

行動になっていった。

だけど私は、さして不思議でもなんでもなかった。そんなこと考える余地はな

かった。

 

次の日。時間は放課後。

私はいつも通り、喫茶店へ向かうために教室を出ようとする。

と・・・

ドンッ

ドアの所で誰かとぶつかった。・・・未来であった。

「・・・悪い。」

未来は片手で「ゴメン」のポーズを作って謝った。

「・・・」

私はその横を通り過ぎて、階段を降りていった。

「・・・・・・」

未来は片手に何かをもっていた。

 

喫茶店につく。七さんがいる。

いつもの光景。いつもと同じ、そしていつも通り・・・

七さんは私の前にやってくる。

目を閉じろと言われる。これも、いつものこと。自然と、目はスッと閉じてい

った。

そのまま、耳元で何かを囁かれ、私の感覚がだんだんおかしくなってくる。

意識も薄れてくる。記憶も曖昧になっていく・・・

・・・だけど、これもいつもどおり。

私は微睡みの中へと堕ちていった。

 

いつも通り、喫茶店を出る。意識は、まだはっきりとはしない。

このまま道を真っすぐ行って、信号渡って・・・

いつも通り、迷うことは無い。だけど・・・その日に限って、途中見知った人

に出会った。

「・・・あ・・・未、来・・・」

制服姿の未来が、私をじっと見つめてくる。片手には、何かもっていた。

いつも通りに帰らなくちゃ。

私は気にする事なく横を通り過ぎようとする。・・・あれ、こんなこと前に一

度あったような気がする・・・どうだったっけ?

だけどその動きは途中で止まる。自分の右腕を見ると、未来の左手ががっしり

とつかんでいて離さなかった。

「・・・沙弥加」

未来の口調は一見して穏やか。だけど、その裏には何とも言えない感情が沸き

起こっているのがすぐにわかった。

抑え切れないほどの怒り、そして・・・何故か、悲しみも含まれてるよう。

いや、これは・・・同情?

「沙弥加、お前は・・・こんなことで・・・こんな、とこでっ!」

未来の腕に力がこもる。

「っ!?」

「・・・お前はっ、気づいて無いのか!?」

「・・・」

荒れ狂うような怒りが心に伝わる。

気が付いて無い、って・・・何?

「・・・」

「お前は、ここで、何をしてたのか・・・本当に、わかってないのかっ!」

「・・・」

ここ・・・七さんの喫茶店でのことだろうか?

私はただ、店に入って、コーヒーを飲んで、それから・・・

それから・・・

「・・・」

「・・・わかってないなら教えてやる。来いっ!」

「あっ、痛」

半ば強引に未来に連れて行かれた、いつも通りのルートを外れて。

 

「ここ・・・未来の家、だよね?」

「今は誰もいない。・・・入れよ。」

さっきから未来が怖い。何でかは知らないけど、すこぶる怖い。

行動に、言動に、表情に・・・その全てが滲みでていた。

未来の部屋に通される。

「ちょっと待ってろ。」

そういって、未来は部屋を出て行く。

白いベッドの上には黒いクッション。部屋の真ん中にはガラステーブルがポツ

ンと何げなく置いてある。あとは棚の中に教科書とかがちらほら。

あまり生活感を感じない部屋だった。

(前にも来たことあるけど・・・変わってないなぁ・・・)

あの時、あまりにも生活感のないこの部屋にびっくりして、家にあったヌイグ

ルミとか、小物とかいろいろあげたんだけど・・・どこいったんだろ?

「待たせた。」

未来が帰って来た。

「さて・・・沙弥加、気分は?」

「へっ?あ、うん・・・普通。」

どうしてそんなこと聞くんだろ・・・

「ならいい。・・・沙弥加、正直に答えてくれ。あそこで自分が何してたか、

わかるか?」

「えっ、喫茶店でってこと?」

「・・・あぁ。」

「そりゃ、コーヒー飲んでおしゃべりして、それから・・・」

それから・・・なんだっけ。

「・・・それから?」

「・・・えーっと、それだけ。」

「嘘をつくんじゃないっ!」

未来が激昂した。

「ひっ!?・・・で、でも・・・それしか覚えて無い・・・」

私にはもう、何が何だかわからなかった。なんで、こんなにも未来が怒ってる

のか・・・それさえもわからなかった。

「・・・そうか。」

未来は、ハァとため息をついた。心底困ったという顔だ。

こんな未来を見るのは初めてだった。

「・・・未来、ごめん。私バカだから、知らない内に未来を怒らせてたんだよ

ね?それでいまこんなに・・・うっ・・・ぐすっ・・・」

私はとうとう泣き出した。

「沙弥加・・・」

「・・・うぅ・・・ぐす・・・」

一度決壊した涙は止まることなくどんどん溢れてくる。私はその場に泣き崩れ

た。

「違うんだ、沙弥加。別に僕は君に対して怒ってない。」

「え・・・」

「結局・・・気づけなかった僕自身、許せないんだ。」

未来は私が落ち着くまで、そっと肩を抱いてくれた。

 

「いいかい、沙弥加・・・落ち着いてこれを聞くんだ。そして、決して理解し

ようとするな。聞くだけでいい。」

そういって未来はカバンの中から何かを取り出した。黒い直方体の形をした機

械。何なのかは・・・よくわからない。

未来がボタンを操作する。

ノイズがスピーカーから聞こえたとおもったら、がやがやという人ゴミの中の

音が流れてくる。

そして、チリンというベルの音。その音には聞き覚えがあった。

「『やぁ、いらっしゃい沙弥加くん。』」

「・・・ちょっと未来、これって・・・」

「あぁ、喫茶店のところのだ。」

未来は停止ボタンを押した。

「どうやって、これ・・・」

「わるいと思ったけど、盗らせてもらった。」

私は自分のカバンを開ける。すると中に小さなマイクのようなものが入ってい

た。私はこんなもの知らない。

(いつの間に・・・あっ)

放課後、そうあの時。未来とぶつかった時。

あの時片手に何か持ってたように見えたけど・・・それだったのか。

「続けるぞ。」

「『こんにちは、七さん。』」

そのまま、何げない会話に入る。七さんがコーヒーをくれる。

何も変わらない、いつもどおり・・・だが

いつの間にか私の声が聞こえない。七さんの声も聞こえない。

聞こえてくるのは、誰かの足音がこっちに向かってくる音だけ。

この場には私と七さんしかいない。ということは・・・

「『眠ったかい、沙弥加くん。』」

静かに問いかける七さん。

私の声はない。・・・本当に、眠ってしまっているのか?

それからはもう驚きだった。

あの本に書いてあった催眠、それよりもさらに深いものであろうそれを・・・

七さんはあろうことか私に向かってかけていた。

強い暗示。私がしてたのなんかよりずっと強い暗示。

意識がスゥっと吸い込まれるようで、機械ごしに聞いてるだけでも・・・

「聞き入るな、沙弥加っ!」

一気に目が覚める。

「私・・・」

「理解するな、理解するなら後でもできる。今は、聞くだけだ。」

私は意識して、深く聞かないように努めた。

それが、一時間も続いた。

 

チリンとベルがなる。私が喫茶店を後にした音。

そして数分間無言で歩いて・・・未来との会話になってた。

未来はスイッチを切った。

 

「そんな・・・私・・・今まで・・・」

七さんに、催眠術を?

「最近様子がおかしいと思ってたけど・・・まさかこんなことになってるとは

思わなかった。・・・そうか催眠術か・・・」

「どうして・・・何で・・・」

そんな言葉しか頭に思い浮かばない。

「だけど、これで決まったな。これまでの自殺の事件、奴が犯人だ。他の皆も

沙弥加と同じように・・・」

「けど・・・未来、これって犯罪になるの?」

重たい沈黙。

そうだ、なるかどうかわからない。直接手を加えてないのだから、立証できる

かどうか・・・

「・・・ま、とにかく明日警察に・・・」

「待って。」

私は未来に待ったをかけた。

そうだ、私はやらなくちゃいけない。彼女にもう一度、会わなくちゃいけない。・・・

警察がくる前に。

「明日、私・・・七さんにもう一度あってくる。

「おい!」

「大丈夫、ちゃんと気を付けていく。」

「・・・前にそれを聞いて送り出して、結果悲惨なことになった奴を、僕は知

ってる。」

未来が真っすぐに私を見つめてくる。

心配してくれてる心づかいが、今はとてもうれしかった。

「大丈夫、私、まだやらなくちゃいけないことがあるから。」

 

家に帰ると、深く考え込んでしまう。

私は手にした機械をじっと見る。未来からかりてきたのだった。

取り込まれないように意識を集中させ、もう一度聞く。

・・・十分

・・・・・・二十分

・・・・・・・・・三十分

「・・・ん?」

ふと聞いてると、おかしなことが。

中に入ってる催眠。その中にときたま飛び出るある単語。

「『浩司』」

・・・何で?何回も聞き直す。

そして、わかった。わかりたくなかった。

これは、私に対する暗示・・・浩くんを好きになる、暗示。

そう、暗示。暗示暗示暗示暗示暗示暗示・・・

今までの気持ちも、暗示?

好きっていう気持ちが、暗示?

・・・今のこの気持ちも。ひょっとして・・・

そう思うと、だんだん怖くなってきた。

じゃあ今は?これは本心?それとも催眠?どっちかわからない。だって私が催

眠にかけられているんだもの。

今までの行動も、本当に私が思ってやったことなの?

私は本当に、彼が好きだったの?

私は、本当に、私なの?

・・・わからない。

わからないわからないわからない、わからないわからない・・・わかるわけな

え、じゃあ今迷ってるのって私?

違うなら、これもしくまれてるの?計画?

わからないわからない・・・

何を信じていいのか・・・信じられない。

私が私である理由?そんなの・・・

わかるわけがない!

夜が更けていく。その暗闇が増すごとに、私の心もどんどん黒くなっていった。

 

 

寝れなかった。気が狂いそうだった。

だけど寝なかった。享受したら、また忘れてしまいそうで・・・

だから・・・

彼女に聞くまでは、頑張ろう。全てが解決してから、どうするか考えよう。

そう、心に決めた。

ボロボロになった末最後に自分でたてた希望。

どうかこれだけは自分だけのものであってほしかった。

私は今日、学校を休んだ。そして、駅に向かった。

 

 

 

「驚いた、君は強いんだね。他の子達は僕の所なんか来ないで、皆死んじゃっ

たのに・・・」

七さんは驚いていたが・・・私が気づいたことにはさして驚いてなかった。

「それで、今更僕に何の用だい?」

「・・・お願いがあります。」

「ふ〜ん・・・まあ、いいよ?僕も君が気に入ってるから。他のやつらなんか

より、君が一番面白かった。」

もう会えなくなるのは残念だけどね、と七さんは付け足した。

「それで、どんな願いをお望みですかな・・・沙弥加くん?」

「私の催眠を解いてください。あと、できれば彼の分も。」

「それはできないなぁ。」

私は七さんをキッと睨みつける。

この期に及んでまだ楽しもうとしてる、こいつ。

「・・・あ、別にそういうことじゃないんだ。ただ、なんて言うか・・・かな

り深い所までやっちゃってるからさ、そう一度や二度じゃ解けなくなってるん

だよ。」

パブロフの犬って知ってるかい?と七さんはたずねてきた。

「えぇ、詳しくは知りませんけど、一応なら・・・」

確か、ベルの音と共に餌をあげているうちにベルの音だけで唾液が出てくるよ

うになる犬、のことだった気がする。パブロフさんがその実験をして発見した

ことから、『パブロフの犬』。

「そう。あれは『条件付け』で犬に、『ベルが鳴れば餌がもらえる』って頭の

中に刷り込ませたんだ。無意識の内に反応するように。」

「君にもね、原理はちょっと違うんだけど・・・まぁ、簡単に言えば同じよう

なことになってる、って言った方がいいのかな。つまりは、そういうこと。」

 

・・・つまり。刷り込ませるのは簡単だけど・・・

「完全に元に戻すのは、ちょっと難しいかな。」

今までかけ続けられた暗示は、ちょっとやそっとじゃ消えない?

それほどまでに、私は深刻な状態に・・・

「そ、そんな・・・」

それじゃあ私は何の為にっ!一体、どうしたら・・・

「長い時間をかけて、カウンセリングみたいにできればどうなるかはわからな

いんだけど・・・でも、それをしたら外にいる子になにされるかわかったもん

じゃないからね。」

私は七さんが指さした窓をみる。

微かにだけど、ウチの制服。それが、さっきから伺うようにこちらを見る。

(未来・・・)

心配してついてきたんだ。その気持ちに心がジーンとなる。

「さて、どうするかい?」

「・・・じゃあ」

元通りにするのが無理なら・・・ならばいっそのこと、

「じゃあ、私の記憶を催眠で消してください。ここ数日間、貴方と出会った頃

の記憶から全て。」

「なっ・・・・・・」

七さんは、呆然としてる。

「何の解決にもなってないことはわかっています。こんなことしても私は催眠

にかかったままだし、浩くんも元には戻らない・・・」

「けど、それを私が忘れさえすれば・・・思い出さずにいられれば、普通に生

活ができると思うんです。」

「私には・・・この感覚が、もう耐えられないんです・・・」

「・・・・・・これはこれは」

七さんは心底驚いたような顔をして、それから笑い出した。

「これはこれは、いやはや・・・驚いた、いや本当に驚いた。」

「わかった、それには僕も心から助力しよう。・・・大丈夫、変なことはしな

いよ。こっちの方が面白いからね・・・」

君達がどうなるのか、最後まで見届けられないのが残念だけどね・・・

 

 

その後どうなったのかはわかりません。だけど、これでよかったのでしょう。

彼女は平穏を取り戻したのです・・・記憶をなくすことによって。

彼もその内催眠もとけ、気づくことなく普段どおりの生活を送ることでしょう。

 

一度絡まった運命の糸は、こうして解かれ、元のあるべき形へと戻ったのです。

ただそれだけのこと。

中にはおかしくなったままの人物もいるようですが・・・それはそれ、長い年

月をかけ忘れるか、そのままどんどん深く絡まるのかは、また別の話。

 

その二日後。

その店はまるで最初から何もなかったかのように、忽然と姿を消していました。