フレンドシップ 〜光差すほうへ〜

 

「どうしたって・・・?どうもしないわよ。」

 違う・・・

「この子たちを、ちょっと教育してあげただけ・・・」

 そんなはず無い・・・

「あなたにもちょっと反省してもらいたかったのよねぇ・・・」

 僕の知ってる立川さんは・・・

「いい薬になったでしょ?うふふふ・・・あはははははははははは!!」

 違う、違う!違う!!違う!!!違う!!!!

「こんなのおかしいよ!!」

 

静まり返った教室に八十島の悲痛な叫びのみが響き渡る。

 立川が何か言おうと口を開いた。

「・・・」

 しかし、立川が言葉を発する前にその言葉はさえぎられた。

「全員席に着け〜!始業ベルはもうなってるぞ〜!」

 始業時間だ。

 立川を取り巻いていたクラスメイトたちは各々の席に着く。

「ほら、八十島も早く席に着け。」

 促され八十島も席に着いた。

 しかし、そこにもやはり引っかかるものがあった。

(先生・・・今、僕と眼を合わそうとしなかったな・・・)

 やはり、教師といえど立川の影響は免れていないのだ。

 しかし、授業にさえ入ってしまえばその間は立川の行動も制限される。

 八十島はひとまず窮地を脱したことにわずかな安堵を覚えていた。

 だが、その考えが甘かったことを八十島はすぐに思い知らされる事となった。

「先生、今日一限目ってただのホームルームですよね?」

「あぁ、今日は特に大事な話は無いが・・・桂、どうかしたのか?」

「ええ・・・すみません、ちょっと・・・」

「・・・なるほど・・・そういうことか。」

「先生、申し訳ございません!」

「まぁ、仕方あるまい。教え子の悩みを見過ごすわけにはいかん・・・」

「あの・・・それで、申し訳ないんですが・・・」

「あぁ、私がいない方が、お前も気兼ねなく話し合えるだろう?」

「・・・ありがとうございます!!」

 八十島が口を挟む暇も無く立川は話を進めてしまう。

 気が付いたころにはまた状況は振り出しに戻っていた。

「さてっと・・・何の話だったかしら・・・?」

 立川は八十島に向き直ると『フフッ』と笑みをこぼした。

 今や彼女を止めるものはいない。

 あるいは助けになるかと思われた教師も去ってしまった。

「そうそう・・・あなたのお仕置きのことだったわね・・・」

 みんな、八十島を睨み付けている。

 まるで、自分の仇敵のように・・・

「みんな、悪いんだけどちょっとだけ八十島君を抑えててくれない?」

「なッ・・・一体何を・・・!?」

 近くにいた2,3人が八十島を取り押さえた。

 身動きを封じられた八十島の前にゆっくりと立川が歩み寄る。

「困るのよ。あなたほどの人なら、私に後催眠を簡単には使わせないわ・・・だから、ちょっとおとなしくしてて欲しいの。確実に落とすために、ね・・・」

 立川は微笑んだ。

 それは今日の空と同じように、一点の曇りも無かった。

 そして、あまりにも綺麗過ぎて・・・磨いだ刃のようだった・・・

「わかったでしょ・・・?この戦争、私の勝ちなの。あなたは敗北したのよ。いつだってあなたは完璧だった・・・何をやっても、どんな時でも、あなたは私より優秀で、何でもできて、私は助けられてばっかりで・・・悔しかった・・・今までは、私は常に一番だった。勉強!スポーツ!!人望!!!何もかも、私は一番だった!!でも!!・・・あなたが来て、私はその全てで敗北した。さらには人間としてもあなたは優秀だったわ・・・いつだって謙虚で、人付き合いも上手くて、人を恨んだり妬んだりしない・・・全て、私より優秀だった・・・でも、ようやく見つけた。さぁ、八十島君!今度こそ、私の勝ちよ!!」

 立川は一気にまくし立てた。

 あまりの勢いにさすがの八十島も絶句している。

 これが、本当にあの立川さんだろうか。

 やはりにわかには信じがたい。

 しかし同時に、八十島は心を締め付ける寂しさも感じていた。

「立川さん・・・どうして何も言ってくれなかったんだ・・・」

 八十島は悔しそうに顔を歪める。

「僕は・・・立川さんが喜ぶ顔が見たいから、必死にやって来た・・・なのに、それなのにそれが・・・君にとっての、コンプレックスだったなんて・・・」

 その八十島の様子を立川は勝ち誇った笑みを浮かべ鼻で笑った。

「なぁに?いまさら後悔してるの・・・?残念ね、もう・・・終わりよ・・・」

 この瞬間が・・・彼女の望んだことなのか?

 3年間・・・彼女がいたから辛いことも乗り越えられた。

 どんな時も・・・いつだって彼女は隣にいてくれた。

 その彼女が・・・いま目の前に立ちはだかっている・・・

「立川さん・・・ならどうして、あの時僕を振らなかったんだ・・・どうして僕と、付き合ったんだ・・・」

 その問いに、立川が一瞬動きを止めた。

 瞬間の沈黙のあとに、立川は口を開く。

「好きだったからよ・・・」

「だった・・・?」

 立川は八十島を睨み付けた。

「そうよ・・・過去よ!もう、あんたなんか嫌いなんだから!!」

 その時、立川の様子が変わった。

「・・・なんで涙が・・・私、やっと勝てたのに!?」

 冷たく八十島を睨み付けるその目のまま、立川は大粒の涙をこぼした。

 それは次々とあふれ、彼女の頬を濡らしてゆく。

「立川さ・・・」

「うるさい!!もう、これで終わりよ!!」

 立川は振り払うように後催眠のキーワードを・・・

「待った!!」

 教室のドアが開け放たれた。

 立川をはじめ全員が一斉に振り向く。

「八十島君!」

「君は・・・猪狩君!?」

 驚く八十島に軽く微笑みかけると猪狩は教室へと踏み入った。

「八十島君、一緒に来て!」

 そのまま猪狩は問答無用に八十島を引っ張ってゆく。

 しかし、そこは立川が黙っていない。

「あなた、いきなり現れて何様のつもり?割り込まないでくれるかしら。」

 そういうと立川は問答無用に生徒用の後催眠のキーワードを唱えた。

 瞬間、周りのクラスメイトたちが一気に崩れ落ちる。

 しかし、猪狩は平然としている。

「あ、あなたまさか・・・!」

 が、猪狩はその問いに答えることもなく早々に八十島を連れて駆け出した。

「ま、待ちなさい!!」

 しかし、立川が廊下へ出たときには既に二人の姿は見えなくなっていた。

 

 校内の・・・何処だろうか。

 どこか暗くて、狭い場所・・・

 彼方から現実味のないチャイムの音だけが聞こえる・・・

 そんな場所に、二人は身を潜めていた。

「猪狩君・・・君、どうして・・・?」

 暗がりの中、八十島は当然の疑問を猪狩に問う。

「まぁ、それはいいじゃない。それより、大丈夫だった?」

 適当にはぐらかしつつも猪狩は八十島を気遣った。

 八十島もそれに笑顔で応える。

「あぁ、ありがとう・・・とにかく、一体何が起こってるんだ?」

 改めてかけられた八十島の問いに、猪狩も普段の無表情を厳しく引き締めた。

「・・・実は僕もはっきりとは判ってないんだ・・・だけど、一つだけ確かなことがある・・・君は立川さんに抹殺されたんだ。社会的にね。もうだれも、校内で君を君だと判断できる人間はいないだろう・・・」

 それに関しては八十島はさして驚かない。

 今の状況や立川の様子、言動からしてそれは明白だったからである。

「今、君の状況はかなりまずい。校内の人間は僕以外全員が立川さんの味方・・・つまりは君の敵だと考えるべきだろうね。」

 しかし、そこで八十島は一つ素朴な疑問を投げかけた。

「君は、どうして立川さんの影響を受けてないの?」

 そういえばその通りである。

 立川は次から次へと暗示を伝染させ、学校中を自分の味方につけたはずだ。

 まさか彼女に限って抜かりがあるとも思えない。

「・・・長くなるから、全てが済んだら話す。とにかく、僕は君の味方だよ。」

 猪狩は一瞬思索したが、すぐに顔を上げ言った。

 その返答に八十島もまた、思考をめぐらせた。

・・・確かに猪狩君は僕を助けてくれた・・・しかし・・・

こんなことを言うと失礼かもしれないけど、簡単に信用して良いのか?

『あの』立川さんに限ってミスがあるとは考えにくい。

もしかしたらここで助けられたこと自体が罠という可能性もある・・・

八十島はこれまでのことからさすがに少々懐疑的になっていた。

そんな八十島の思考を見透かしたように苦笑いしながら猪狩は言った。

「まぁ無理もない、か・・・いいよ、無理に信じろとは言わないから。」

 しかし、その笑顔もまたすぐに消え、厳しい表情へと変わる。

「とにかく、打開策を講じないといけない。全てはそれから、だよ。」

 確かに安易に信用するわけにはいかない。

 しかし、猪狩の言っていることも決して間違いではない。

 何より絶望的なこの現状ではわずかな可能性にでもすがるしかないのだ。

 もしこれが立川の罠であるならば自分は常に監視されていることになる。

 どうあがいたところで逃げ場はないだろう。

 それに疑ってはみたものの、本当に猪狩が自分の味方ならば実に申し訳ない。

 いや、申し訳ないですめばいいが、最悪協力者となり得る唯一の人物を失うことにもなりかねないだろう。

 どちらにしても絶望的・・・ならば、罠にだって飛び込んでやろう・・・

 八十島はいよいよ決意を固めた。

「そうだね・・・うん、その通りだよ!」

 その言葉に猪狩は力強く頷く。

 そして腕の時計を一瞥して八十島を見据えた。

「で、どうする?教室にもどるかい?」

 それに対して八十島は首を横に振る。

「いや、それは危険だよ。それじゃあ何のために君はあの場から助けてくれたんだ?今はとにかく、どうすれば立川さんを止められるのかを考えないと・・・」

 その時、八十島の言葉に猪狩が割って入った。

「・・・気が付かないの?」

「え・・・?」

「さっき、立川さん・・・泣いてたでしょ・・・?」

「あぁ・・・そうだね。」

「それだけ・・・?」

 猪狩の表情はいつもの無表情・・・よりも更に冷たいものに変わっていた。

「あ・・・そりゃあ、僕は後悔してるさ・・・立川さんのためにって思ってたのが彼女にとってのコンプレックスで・・・思い上がりも甚だしかったと思う。」

 猪狩の表情はますます冷たくなってゆく。

 たまりかねて八十島は問う。

「何が言いたいの・・・?」

 それに対し猪狩は軽く首を横に振り、溜息をついた。

「君ほどの人が、何故そんなことにも気が付かないんだ・・・立川さんは、君に助けを求めてるんだよ。いいかい?今君は、支えを失ったショックで精神的に不安定になっている。持ち前の冷静さと明晰な頭脳も、全くもって機能していない。僕は、そんな君は見たくなかったよ・・・」

 猪狩の容赦ない言葉責めにさすがの八十島も声を荒げた。

「何だって!?・・・君に・・・君に何がわかるんだ!立川さんを失うことが、どれほど僕にとって・・・!」

「すぐそうやって感情を全面に出す・・・!攻撃性を前に押し出し、自分の負の感情から目を背けてる!そうすれば立川さんは帰ってくるのか?そうすれば君は苦しみから逃れられるのか!?」

 八十島は歯を食いしばった。

 猪狩の言葉はどれもが一つ一つ刃のごとく八十島を切り裂く。

 それは的確に、しかし八十島を決して殺さぬように傷をつけてゆく。

 八十島はいよいよ本気になった。

「君は愛する人がいるか?それを失ったことがあるのか!?僕の気持ちもわからず、論理だけで全て話が解決すると思ったら大間違いだ!!君こそ、思い上がりもいいところじゃないか!!」

「無い!!愛する人を失ったことなんてないさ!!」

「なら・・・!!」

「だけど・・・大切な人を失ったことは、ある・・・」

 その時、八十島は何か恐ろしく冷たく、暗いものを猪狩の中から感じた。

「僕のおじさん・・・若かったのに、病気でね・・・3年くらい前だよ・・・子どものころ、よく遊んでもらった・・・」

「だ、だけど・・・君の両親は健在だろ・・・?」

 八十島はらしくも無く無神経な発言をしてしまった。

 しかし、それも猪狩はかぶりを振っただけでまたすぐに話を続けた。

「僕たちの家は親が結構信心深くてね・・・祈ってあげろって毎日僕と従弟に言ってたよ・・・だけど、無神論者な僕たちはずっと無視してた。それが・・・ある日突然死んじゃったんだ・・・心配かけまいと、危険な状態だったことを子どもたちには隠してたんだよ。あの日・・・いつだってあんなに明るかったあいつが・・・あんなになるなんて・・・僕はおじさんと・・・そしてあいつのために、何も・・・」

 そして猪狩はコンクリートの壁に思いっきり拳を打ち付け、叫んだ。

「何もしてやれなかったんだ!!!」

 八十島は既に言葉を失っている。

 たった今自分の犯した過ちがどれほど大きかったのかを知り、悔やんでいた。

「せめてッ・・・せめて形だけでも、祈ってやればよかったッ・・・!!もう、あの人は帰ってこない・・・あの時のあいつの顔も、もう取り消せないッ・・・!!」

 一度猪狩は天井を見上げた。

 八十島も見上げてみる・・・何も無い。

 顔を下ろしたとき、猪狩はとても優しい表情になっていた。

 頬が、わずかに濡れていた・・・

「八十島君・・・僕は、ずっと君を尊敬していた。3年前、あれから少しあとだよ・・・高校に入って君と知り合ったのは・・・ずっと尊敬していた・・・僕に足りない、全てを持っていたから・・・いや、持ってると思ってたからね。いつも遠くから眺めて、うらやましいと思っていた・・・この間までは・・・」

 その時、猪狩は八十島に優しく抱擁をした。

 それは八十島が今まで立川と交わしてきた恋人たちのそれとはまるで違う。

 いうなれば『親』・・・親が子を諭すような、優しいものであった。

「なに無理してんのさ・・・君は、完璧なんかじゃない。いや、完璧である必要なんか無い・・・君はただ君であるだけで十分なんだよ。僕はいつも、そんな君に救われてきた・・・あの時のショックから、僕を救ってくれた。立川さんも、そんな君だからこそ惹かれたんだと思うよ・・・?」

 猪狩郁典・・・生徒間では『冷血』『冷徹』『機械人間』とまで言われていた。

 その猪狩が・・・『冷徹の猪狩』が、友の傷を癒そうと必死になっている。

 いつもの暗く冷たい言葉ではない・・・優しさに満ちた言葉・・・

彼が、初めて人前で見せた人間らしさだった・・・

「猪狩君・・・ありがとう・・・」

 八十島は一言だけ、猪狩にお礼を言うと、再度改まった。

 猪狩もそれに対し軽く微笑むと、再びもとの無表情へもどった。

「さて、じゃあ本題へもどろうか・・・立川さんに何が起こったのか?」

「それに関しては、一つ思うところがある・・・」

 八十島は先の猪狩の発言を思い出した。

「あぁ、さっき言ってた『助けて欲しい』ってやつのこと・・・?」

「そう、立川さんは君に助けを求めているんだよ。」

「何でそう、言い切れるのかな・・・涙だけで決め付けることはできないよ?」

 すると、猪狩は『わかってる』といわんばかりに間髪いれず言葉をつなぐ。

「実は・・・」

 

 そのころ教室では・・・

「全く持って誤算だわ・・・猪狩君、やっぱりあの時・・・」

 立川は記憶の糸をたどり、自分の犯したミスを思い返していた。

 その傍らには他の生徒会メンバーたちがそろっている。

「圭、どうする・・・?あの様子だと会長、諦めそうもないと思うよ?」

 副長高井が立川に意見を求める。

「ッたく、会長も意地張ってねーで早く圭に謝れば良いのに・・・」

「あの会長だぜ?折れるわけがない。その上会計もセットなのに。」

 風紀の吉野と書記の橿原はそれぞれ愚痴っている。

 結局八十島は見つからず、遠くからは既にお昼の放送『歌花』が響いている。

 その時、立川はクスリと笑みをこぼした。

小さくかわいらしいその微笑に、一瞬その場の全員が凍りつく。

 この笑い方をするときの立川は、とてつもなく不気味だ・・・

「フッ、いいわ・・・やってやろうじゃないの・・・何処に逃げたか知らないけど関係ないわ・・・私からは逃げられない・・・八十島君、今度こそあなたは、チェックメイトよ・・・ケリをつけてあげるわ・・・一撃でね・・・」

 その時、いち早く復活した高井が立川につっこんだ。

「そうは言っても、居場所が分からないじゃ・・・後催眠も落としようが・・・」

 しかし、それも立川は一蹴した。

「馬鹿ね・・・あるじゃない?すっごく簡単な方法が・・・まぁ、とりあえず今は真面目に授業でも受けましょうか・・・放課後が楽しみね、フフフ・・・」

 

 八十島は目を丸くしていた。

「まさか・・・本当に、そんなことを・・・?」

 猪狩は頷いた。

「あぁ・・・これでわかったでしょ?彼女は、待ってる。」

 覚悟を、決めるときが来たようだ・・・

 無理かもしれない。

 救えないかもしれない。

 彼女の仕掛けた数々の罠、一つでもかかれば勝ち目は無い。

 八十島にとってはこれまで経験した中で最悪の状況だ。

 でも、そこに可能性があるなら・・・

「とにかく、今すぐ動くのは危険すぎる。放課後、みんなが部活や寮へ行って校内の人間が減ってから行動しよう。それまでは、隠れとおすしかない・・・」

 立川の校内における影響範囲は100%・・・情報網を交わすすべは無い。

 とにかく、機を待つしかないのである。

 そうして待つうちに、暗く狭いコンクリートのこの部屋は徐々に冷たい空気に侵食され、凍えんばかりの冷気を放ち始めた。

 それに伴い、天井近くの小窓から差し込む陽光も徐々に赤く染まり行く。

 彼方で一瞬の喧騒、直後静寂・・・

「よしッ・・・」

 二人は慎重に部屋を出た。

 どうやら二人が隠れていたのは滅多に使われない離れ倉庫だったらしい。

 既に吐く息は白く、風が吹けば身震いする凍て付いた大気・・・

「さて・・・立川さんの居場所をどうやって特定する・・・?」

 まるで寒さを一切感知しないかのように猪狩は無表情のまま尋ねた。

 まぁ、答えは大体わかっているのだが・・・

「うん、正直言うとわからない。闇雲に動くのも危険だからとりあえず生徒会室から当たってみようと思ってるんだ。」

「だね。」

 猪狩もすぐさま同意した。

 確かに生徒会室は危険度が高いが、闇雲に動くよりはましである。

 それに、そこなら立川がいる可能性も高い。

 生徒会室は間違いなく彼女に有利な場だ。

 彼女は極力生徒会室にいるようにするだろう。

 それに何もせずとも学校中には情報網が張り巡らされているため、別の場所で八十島が目撃されたのならすぐに伝令が来る。

 そうしたら適当なやつを向こうに差し向ければよい。

 立川がわざわざ動くような理由はそうないはずだ。

「そうとなれば、行動は早くしたほうがいい。向こうがこれ以上に何か仕掛けてくる前に生徒会室へ急ごう。」

 生徒会室は八十島たちのいた『実技教材用第3倉庫』からは多少距離があり、途中には教室棟と実習棟の間の中庭を突っ切らねばならない。

 ここは補習授業の生徒からも文化部の生徒からも・・・また、職員からも見えやすい位置にあり、危険度の高い難所である。

 しかし、今の二人には『夜の闇』という強力な味方がいる。

 冬至を前にしたこの時期、時間が早くとも既にあたりは暗い。

 その闇こそが八十島たちの絶好の隠れ蓑となるのだ。

「何とかなりそうだね・・・」

 校舎の影から顔を出し、八十島は呟いた。」

「うん、確かに校舎からの明かりはあるけど・・・これだけ暗ければ充分・・・」

 更にその後ろから顔を覗かせた猪狩。

 幸運にも今校舎に人影は無い。

「月に雲がかかったときが勝負・・・一気に行くぞ・・・」

 八十島の言葉に猪狩が頷く。

 そして数瞬の後・・・今、天空の監視者が地上から隔離された。

「いまだ・・・!」

 二人は生徒会室へと向かって一気に駆け出した!

 教室棟、中庭、実習棟・・・静かに、しかし敏速に駆ける。

 そして職員室前を地を滑るが如くすり抜け・・・

「来たね・・・」

「うん・・・」

『生徒会室・・・』

 

「あ〜・・・圭のやつ何処行ったんだよぉ・・・」

 生徒会の面々は暇をもてあましていた。

「いい方法って何なんだ?あたしに何も説明しないで行っちゃうんだもん!」

 そこで、高井はさらに大きく溜息をつく。

 吉野と橿原も、さすがに意味もなく待つのは飽きたらしい。

「王手!」

「む・・・」

 将棋を指している・・・

 そこでいよいよ高井が音を上げた。

「あ〜ッ、もうっ!もういい、寝るッ!!起こすなよッ!!」

 と、言うが早いか突っ伏したと思ったらもう寝息を立て始めた。

「うわっ、副長寝るの早〜・・・」

 二人も妙に感心してしまった。

 しかし、生徒会室の退屈も、どうやらここまでだったようだ。

 生徒会室の引き戸がガラガラと開けられる。

 外界から吹き込む一陣の冷気とともに二人の侵入者が現れたのだ。

「会長!」「会計!」

 吉野と橿原は同時に叫んだ。

 そう、二人の侵入者、すなわち八十島と猪狩である。

「お前ら、今まで何処に・・・!」

「それはどうでもいい・・・立川さんは何処だ?」

 猪狩が二人をきつく睨み付けた。

 しかし、その声、そして表情には一切の感情が見受けられない。

「なるほど・・・やっぱ、圭が目当てってわけか・・・」

 二人は全く動じることなく、ただ肩をすくめた。

「そんなもん、俺たちがおとなしく教え・・・」

 そこで二人の動きは止まった。

 両腕は力なく垂れ下がり、既にその目は何も映してはいない。

 八十島が生徒用の後催眠キーワードを起動したのだ。

 今朝の一件で八十島は既に生徒用のキーを覚えていたのである。

「さて・・・それじゃあ教えてくれるかな・・・立川さんは何処?」

 聞くと、二人は力のない声音で答えた。

「し、らない・・・何も言わずに・・・出てったから・・・」

「出てった・・・?」

「いいこと、思いついたって・・・」

 その時、後ろで寝息を立てていた高井が突如目を覚ました。

「・・・ッるせぇなぁ・・・落ち着いて寝れないだろ・・・」

 反射的に八十島はキーワードを唱えた。

 しかし、高井はそのキーに全く反応を示さない。

 それどころか余裕の笑みさえこぼしている。

 さすがの八十島もこれには動揺は隠せない。

「何驚いてるの?残念ながら、あたしは圭に最初に催眠をかけてもらった人間でね・・・他とは違うんだよ。他の奴はちょっとあたしが改良してやったんだ。」

 要するに、高井には他の生徒と同じキーは通用しないらしい。

「なるほど・・・やはり君が『感染源』だったのか・・・」

 不意に高井は八十島の前に歩み出た。

「会長にしては、迂闊だったわね。」

「えっ?」

 その瞬間八十島の視界が塞がり、思考に霞がかかり始めた。

 高井は八十島の目を手で覆い隠し、八十島の耳元で何かしら呟いている。

「あ、これ・・・立川、さんの・・・」

「いまさらわかっても遅い。あたしが教わってないとでも思ったの?」

 そう、今高井が実行しているのは八十島を落とす後催眠の一つなのだ。

 高井は心底可笑しそうにくすくすと笑った。

「八十島君・・・!」

「おい、会計・・・」

 駆けつけようとした猪狩は突如声をかけられ竦んだ。

「あんた、運動得意だっけ・・・?」

「い、いや・・・あまり・・・」

「あんた、喧嘩できたっけ・・・?」

「い、いや・・・したことない・・・」

「そうかそうか・・・あたしはあるよ?」

 高井はそれはそれはにこやかに微笑んだ。

 八十島はともかく、猪狩は運動はあまり得意ではない。

 まして喧嘩などは生まれてこの方したことがないといっていい。

 要するに、『邪魔したらコロス!!』といっているのだ。

 無論高井がスポーツ・喧嘩が得意なことは言うまでもない・・・

「さ、会長・・・」

 猪狩を牽制しつつ、高井は再び八十島の処理に取り掛かった。

「あ・・・う・・・」

 八十島の目は徐々に光を失い、見る間に体が弛緩してゆく。

「あははは、やっぱ圭のは効果抜群だね。あんたの弱点はわかってんのよ♪」

 高井は既に鬼の首を取ったがごとくである。

 猪狩と八十島に落とされた二人を無視して一人ではしゃいでいる。

 しかし、八十島とてただやられているつもりはない・・・

(いけない、このままじゃ・・・何とかしないと・・・)

 八十島は必死に葛藤していた。

 落とされまいとする自分・・・

 しかし一方で落ちてしまいたいと思っている自分・・・

 八十島の思考回路は急速に溶かされてゆき、意識も徐々に変化しつつあった。

(あたま、ぽ〜っとしてる・・・何か、手は・・・だめ、何も、考えられない・・・)

 最早八十島の脳に複雑な思考はできなくなっていた。

 八十島は己の思考力を総動員して必死に考えようとする。

 しかし、考えれば考えるほど、さらに深みにはまってゆく。

(そ、うだ・・・瞬、間、催、眠・・・あ、れ・・・なら・・・)

 どうやら八十島に一つの案が浮かんだようである。

 この状況で案が出る辺りそこはさすがと言ったところだろうか。

 瞬間催眠・・・確かにシンプルかつ強力な手段である。

 複雑な暗示も要しないため、チャンスと一瞬の気力さえあれば何とかなる。

 しかし、八十島はまだ一度もこの技法に成功したことはないのだ。

 何度か立川に教わってはいたものの、相手の呼吸がつかめず・・・

 というか、被験者役をした立川に隙がなさ過ぎて暗示が入らなかったのだ。

 その上、今は既に八十島自身まともに動ける状態ではない。

(あぅ・・・だめ・・・気持ち、良く、なってきた・・・)

 そう、八十島はもとより立川にしょっちゅう催眠をかけられていた。

 遊びももちろんだが、セラピー目的でも・・・催眠の味はよく知っている。

高井に後催眠を起動され、八十島は落ちてゆくことに快感を覚え始めていた。

「八十島君・・・」

 着々と落とされてゆく八十島を前に、猪狩はただ見ているしかなかった。

 まともにやりあってしまえば、催眠以前に高井に叩きのめされる。

 手は出せない・・・しかし、このままではいけない・・・

「・・・催眠の本質は、自己催眠である・・・」

 猪狩は不意につぶやいた。

「何・・・?」

 高井が振り向き、猪狩を睨み付ける。

「いかなる巧妙な暗示であろうと、本人の受容なくして成り立たない・・・」

 猪狩は高井をまるで意に介さないかのごとく喋り続ける。

「おい、何わけのわかんねぇことを・・・」

「即ち・・・」

 次の瞬間、猪狩はわずかに息を吸い込んだ。

 そして・・・

「こらっ!!あんまりサボってると、立川さんに『アレ』をされるぞ!!!」

 猪狩は叫んだ。

 瞬間!

『あ、あれだけはッ・・・!!』

 高井と八十島が同時に跳ね上がった。

 その瞬間、高井より一瞬早く復活した八十島がすかさず暗示を与える。

「ほらッ、高井さん!体が堅くなる!一気に堅くなる!どんどん堅くなる!もう指一本動かせない!そう、君はカチンコチンになった!君は一本の棒!!」

 八十島は一気にまくし立て、後、生徒会室に静寂が訪れた。

「高井、さん・・・?」

 八十島は高井の顔を覗き込んでみる。

 目は開いている。

 呼吸もしている。

 しかし直立不動。

 全く動かない。

 目は既に光を失っている。

「成功、したのか・・・」

 八十島は一気に体の力が抜ける思いがした。

 今まで一度も成功したことのなかった瞬間催眠だったが、今回はついにうまくいったようである。

「八十島君・・・!」

 猪狩が八十島の下へやってきた。

「猪狩君・・・おかげで助かったよ。君があれを言ってくれなかったら、あのまま落とされてた・・・」

 それに対し、猪狩は柄にもなく照れ笑いを浮かべた。

 しかし、そこで八十島はさらにもう一つ・・・

「で・・・なんで君が『アレ』を知ってるの・・・?」

「エッ・・・」

 その瞬間、生徒会室にまた妙な沈黙が訪れた。

 そして数瞬の後、二人は顔を見合わせて笑った。

 結局猪狩の謎は尽きないが、まずは高井から情報を聞き出すのが先だ。

 ある程度高井に深化暗示を与え、落ち着かせてから情報収集を開始した。

「で・・・高井さん、立川さんは何処に・・・?」

「圭は・・・わかんない、何処行ったのか・・・」

「え、君にも何も言わず・・・?」

「うん・・・あたし、何も、聞いてない・・・」

「本当に・・・?」

「うん・・・何処に行ったか、聞いてない・・・」

 その瞬間、二人は肩を落とし、溜息をついた。

「けど・・・」

 高井は何か思い当たったようである。

 二人は顔を上げた。

「圭、言ってた・・・ケリ、つけるって・・・」

「ケリ・・・?」

「一撃で決める・・・いい手、浮かんだ・・・何処に逃げても無駄だって・・・」

「一撃・・・?何処に逃げても無駄・・・?」

 高井の証言に二人は首をかしげた。

「それって、いつ言ってたの?」

「昼休み・・・」

 二人はますます首をかしげた。

 立川の居場所もさることながら、何故それほど有効な手段を思いついたにもかかわらずこんな時間まで使わなかったのか・・・?

 どうにも今回の彼女の行動は不可解な点が多すぎる。

「圭・・・なんか、ずっと考え込んでた・・・でてったの、放課後・・・」

 二人の会話を質問と受け取ったのか、高井は勝手に話し出した。

 その時、学校中に最終下校時刻のチャイムが響き渡った。

 瞬間、八十島は叫んだ。

「そうか!そういうことか!!」

「え・・・あッ!」

八十島の言葉に猪狩もどうやら感づいたらしい。

「僕たちは難しく考えすぎてた!実際にはすごく簡単だったんだ!」

 言うが早いか、八十島は一気に外へと駆け出した。

「猪狩君!みんなを頼むよ!」

「エッ!ちょっと、八十島君!?」

 

 長かった・・・

 全て終わる・・・

 ようやく終わる・・・

 私は闇の中、スイッチに手をかけている。

 これを押し、一言言えば・・・

 全て終わる・・・

 長い苦しみの時・・・

 辛い屈辱の瞬間・・・

 深い悲しみの影・・・

 その全てから、私は解放される・・・

 長かった・・・

 終わりないのかと思った・・・

 果てないのかと思った・・・

 このスイッチを、押し・・・ただ一言・・・

 これだけで、私は自由になれる。

 なのに、それなのに・・・

 なぜ、涙が出るの・・・?

 何で私、泣いてるの・・・?

 煩わしいあの男・・・

 大嫌いだった私・・・

 忌まわしい記憶・・・

(ちがう・・・)

 全て、何もかも、皆、大嫌いだ・・・

(ちがう、ちがう・・・)

 だから、全て終わらせる・・・

(私が望んだのは・・・)

 私は、彼に勝った・・・勝利者なのだから!

(誰か、助けて・・・!!)

 足音・・・?

 そう・・・あなたは、まだ夢を見るのね・・・

 私はあなたの『希望の光』・・・

 光差すほうへ、ただ誘われるままに・・・

 あなたは知っているかしら・・・?

 絶望の底から見上げた時にしか、希望の光は見えないのよ・・・

 

 無心に、ただひたすらに・・・八十島は駆け抜けた。

 早く、もっと早く・・・手遅れになる前に!

 もし、間に合わなければ・・・立川との関係は、二度と戻せない・・・

「立川さん・・・」

 既に電気もまばらになってきた校舎内を八十島は全力で駆ける。

 ただひたすら、立川のことだけを考えて・・・

 そして、八十島はおもむろに一つの部屋に駆け込んだ。

 立川の待つその部屋・・・

 

「放送室」

 

「立川さん!!」

 八十島は電気一つつけられていないその部屋に飛び込んだ。

 部屋の真中には窓から注ぐ月光に照らされた美しい少女の姿・・・

 『全校連絡用』とシールの張られたスイッチに手をかけ、立ち尽くしていた。

 その白い両頬には小さな涙の粒が一つ、また一つと伝い落ちてゆく。

「全校放送用のマイク・・・それ使えば、確かに危険度は高いけど確実だ・・・」

言いながら静かに立川へと歩み寄る。

「来ないで・・・」

 八十島は足を止めない。

「来ないで・・・来ないで!!」

 立川が八十島に向き直った。

 八十島は足を止める。

 月明かりがわずかに室内を照らし、刃のような冷気が辺りを覆っている。

 立川の顔、無表情のまま、涙に濡れていた・・・

「立川さん、もういいだろ・・・やめよ、こんなこと・・・」

 しかし、立川は聞く耳を持たない。

「フッ、フフフ・・・何を言い出すかと思えば・・・私は勝者、あなたは敗者!いまさら後悔したって、もうあなたに私は止められないわ!」

 八十島は静かに首を横に振った。

「そうじゃない・・・止めに来たんじゃないよ・・・助けに来た。」

 その言葉を受け、立川はこの上ない冷笑を洩らした。

「助けに来た・・・?ハッ、何を馬鹿なことを・・・」

「じゃあ・・・なんで押さないの?」

 八十島はボタンに手をかける立川の手を取った。

 その瞬間、焦ったように立川が手を引っ込める。

 真っ白な頬が少し赤くなった。

「い、今から押すのよ・・・!これで、あなたは終わりなんだから!!放送を使えば、今朝のように逃げることはもうできないわ!」

 立川は再びボタンに手をかける。

「本当に・・・それが君の望んだことなの・・・?」

「そうよ!この時を・・・どれだけ待っていたか・・・あなたを超える瞬間を!」

「なら・・・なんで、泣いてるんだ・・・?」

「・・・ッ!」

「なら・・・どうしてすぐに押さなかった・・・?どうして最初から、ここへこなかった・・・?どうして生徒会室で、何時間も悩んでいたんだ・・・?」

「ウッ・・・るさいッ!!あんたなんかに関係ないわよ!!」

 立川は叫ぶやいなや思いっきりボタンを押した。

 ブツッ・・・っと学校中の放送機器が一斉に起動した。

『八十島君・・・チェックメイトよ・・・』

 立川の声が闇夜の学校、そして寮内に響き渡る。

「これであなたは、もう逃げられない・・・あとは私が一言、キーワードを唱えるだけ・・・そう、それで、全て終わり・・・」

「本当にそれでいいの・・・?」

「そうよ・・・あなたを落として・・・あなたに打ち勝って・・・全て、全て・・・リセットするのよ・・・!」

「僕を落としたところで、あとはどうする・・・?君のために協力してくれたみんなは?忘却暗示でもかけて、もろとも無かったことにする?」

 二人の会話は学校中に響き渡り、皆一様に何事かと耳を傾けている。

 学校に残った生徒と職員。

 寮に戻った者たち。

 そして、猪狩たち生徒会の面々・・・

「そう・・・いっつもそう・・・あなたは立派よね・・・こんなときにさえ、周りの人たちに気を使って・・・あたしとは大違いよね・・・」

「立川さん、それは違・・・」

「何よ!!いっつもいいこぶって!!そうよ、最初から分かってたわ!!所詮私なんかじゃ、あなたにはつりあわないってね!!最初から分かってた・・・あなたは全てが私より上。何でも自分で解決できた・・・私は助けられる一方!」

 立川の目から、さらに大粒の涙がぼろぼろとこぼれ始めた。

「あなたはいつも正しい・・・分かってるのよ!こんなこと、本当は私だって望んでなかった!!私が無能だから、こんなことになったの!!前の土曜日、本当はあなただってすごく辛かったんでしょ?知ってるわよ。顔を見ればすぐわかるわ!?でも、あなたは耐え切って、私は耐え切れなかった・・・また、私のせいで・・・私が無能だから・・・我慢できなかったから・・・辛い・・・私はもう、こんな辛い関係は嫌なの!完璧な人と付き合うのは・・・辛いの!!だって・・・私は完璧になんてなれないから・・・!!」

 前にも一度、こんなことが・・・

 八十島の脳裏に三年前の記憶が甦った。

 あの日、催眠というものを初めて知り・・・

 そして同時に、立川圭と言う女性を初めて知った。

 立川の催眠の腕は確かなものだったが、その内にはなにか暗い感情が巣食っているようで、見ていて心配になるほどの脆さと不安定さを感じた。

 催眠は人間の可能性を引き出す素晴らしい科学である。

 しかし同時に、人間の欲望を引き出す恐るべき魔力でもある。

 催眠がもたらす特殊な意識状態と特異な人間関係・・・

 この奇妙な世界とその魅力に魅入られたものは、たとえどれほど知識に精通し、技術に習熟していても・・・たとえ限界を持つ科学であると分かっていても、偽りの全能感に酔い、倒錯した欲望のままに利用しようとする・・・

 彼女の抱えた大きな劣等感・・・そして、抑圧的な人間性・・・

 何より、その圧倒的な催眠の技術・・・

 立川にとって、催眠はあまりに魅力的過ぎるのだ・・・

 三年前、あの夕日の教室で八十島は思った。

『僕が、この子を護っていこう・・・』

 そして八十島は、三年間それに全力を尽くした。

『僕は彼女を護っている。彼女のために頑張っている。』

 そう思っていた。

 しかし、それが思い上がりだったのだ・・・

 実際には彼女に余計な負担をかけ、そしてついに・・・

 爆発した・・・彼女の抱えていた巨大な爆弾が・・・

 そしてその導火線に火をつけたのは他でもない、自分だったのだ・・・

 今目の前にいる彼女は、自分が何をしているのか分かってる。

 そして、その自分の行動に恐怖と怒りを感じている・・・

 だが・・・止められない・・・

 立川の精神は既に催眠の魔力に完全に屈していた。

 偽りの全能感に酔わされた心。

 劣等感を消し去ってくれるかりそめの優越感。

 理性と知性で封印してきたあらゆる欲望。

 それら全ては決壊したダムの如く溢れ、立川の全てを飲み込み支配してゆく。

 頭の片隅では『いけない!まずい!』と警鐘が鳴り響く。

 だが、感情の奔流は止まらない。

 いけない・・・でも、止められない・・・

 力に完全に酔わされた立川の心はこの状況に倒錯した快感すら覚えていた。

 もちろん立川は知っていた。

 催眠を使うものが、最も注意を払わねばならないこと・・・

 それは、己の感情、そして欲望のコントロール・・・

 だが、打ちのめされた立川の心は、最早自分の持つあまりに大きい力に耐えられなかったのだ。

 僕のせい・・・

八十島は、自分の自惚れを悔やんだ。

「こんなときこそ・・・僕が支えてあげなきゃいけなかったのに・・・」

「うるさいッ!まだ言うの!?」

「僕はずっと、君のためって思ってた・・・」

「聞きたくない!!」

「でも、それは・・・自分のためだったんだ・・・」

「もう・・・もう遅すぎたのよ!!」

 立川はマイクを手に取り、大きく息を吸い込んだ・・・

 鍵が・・・錠に差し込まれた・・・!!

『・・・』

 次の瞬間、学校中は静寂に包まれていた・・・

「立川さん・・・」

 八十島は立川を強引に抱き寄せ、強く、強く抱きしめた。

 見たことのない八十島の姿に立川は戸惑う。

「僕、今までずっと、君のために頑張ってるつもりだった・・・だけど、君はそんなこと望んでなかったんだね・・・ただ、普通でいて欲しかったんだね・・・

僕は、自分の優越感や、誰かに必要とされてるっていう証明が欲しくて・・・みんなから『要らない』って言われるのが怖くて・・・頑張ってたんだね・・・立川さん、僕は・・・完璧なんかじゃないよ。君とおんなじ、単なる子どもだ。

そう・・・子どもなんだよ・・・子どもは子どもらしく・・・立川さん、僕、もっと素直になるよ・・・」

 立川は抱きしめられたまま、力なくマイクを口元へ運ぶ。

 それを見て、八十島も意を決した。

「立川さん・・・わかった、いいよ・・・もう、止めはしない・・・それが、君の意思なら・・・僕は喜んで受け入れるから・・・」

 八十島は立川に向かって最上の笑みを向けた。

 しかし、どんなに笑顔でも両の頬に伝う雫は月光の光を反射し、隠れようとはしてくれなかった。

 そして立川は、大粒の涙を流しながらついにその口を開く・・・

 八十島は、静かに両目を閉じた・・・

 

『ごめんなさい・・・八十島君・・・』

 

 その瞬間、生徒会室では異変が起きていた。

「ん・・・あれ?」

 催眠に落とされていた猪狩以外の三人が突如目覚めたのだ。

「・・・なんか、頭がぼっとするなぁ・・・」

「あッ!?おい!もうこんな時間じゃねーか!?」

「うわッ、こんな時間まで何してたんだ!?」

 状況を見ながら、猪狩は一人安堵の溜息をついていた。

「八十島君・・・よかった・・・」

去って行く三人を見送る猪狩の顔は、心から微笑んでいた。

「ん〜・・・ここ数日、なんかあったような気がするよな・・・」

「あ、お前も?俺もなんか忘れてる気がする・・・」

 次第に学校全体から口々に同じような言葉が飛び交い始めた。

 生徒も、教師も、皆一様に『立川と八十島の一件』の部分だけ記憶が消え去り、何事もない日常の記憶だけが残っている。

 催眠をかけられたことも全て忘れ、この数日はただの『ある日』に戻った。

 どうやら、全ては終わったようである・・・

「立川さん・・・」

 月光だけが照らす淡い放送室・・・

 放送のスイッチを切り、二人は世界から隔離し、ただ抱き合っている。

 八十島は言葉や表情では表せない、様々な感情を感じていた。

「立川さん、僕たち・・・まだ、終わらないんだね?」

「八十島君!私・・・私ッ・・・!」

 立川は八十島の懐でただひたすら泣きじゃくっていた。

「いいんだ。君だけの責任じゃない。僕だって・・・」

 八十島は優しく立川の髪を撫でた。

「でも、君のお仕置きは相変わらず強烈だよ。お返しに、僕のわがまま聞いてくれるかな・・・?三年間溜め込んでたからね。取って置きだよ・・・?」

「八十島君・・・」

 立川は涙をぬぐい、自分のため軽口をたたいてくれる八十島を見つめた。

「なんで、そんな・・・?」

 問いかける立川の口もとに、八十島は指を一本立てた。

「そんなこと聞かない。言ったでしょ?子どもなんだ・・・素直になろう?」

 八十島はにっこりと微笑んだ。

 立川は、ただ上目に八十島を見つめる。

 一年のときは、同じくらいの背だったのに・・・

 気が付いたら、少し抜かされてた・・・

 三年間も一緒にいたのに気が付かなかった・・・

 私たちは、本当はまだ他人だったのかもしれない・・・

 不意に立川はそう思った。

「ね、聞いて、くれるかな・・・?」

 立川は、静かに頷いた。

「ありがとう・・・」

 八十島はコホンッと軽く咳払いすると、照れ笑いに少し頬を赤らめて言った。

 

「立川さん・・・僕と、付き合ってくれませんか・・・?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・喜んで・・・」

 

光差すほうへ(完)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 僕たちは、今ようやく同じ道を歩き始めたのかもしれない・・・

 この三年という時間は、長くもあり、短くもあった試練の時だった・・・

 お互いがすれ違い、それでもそれこそが愛なのだと正当化してきた・・・

 自分たちは大人なのだからと、無理を飲み込んで・・・

 しかし、それももう終わったのだ。

 自分たちはただの子どもだ。

 完璧な人間でもなければ、まして大人でもない。

 それを自覚し、初めて二人は本当に大人への道を歩みだした。

 長い夢は終わりを告げ、今このときから、二人は本当の恋愛を始めたのだ。

 この数日、この三年・・・あるいは悪夢だったのかもしれない。

 しかし、忘れてはならない。

 それがあるからこそ、僕たちは本当の自分たちに出会ったのだから・・・

 

本当の催眠合戦(終戦)